プチトマト豊作!

徒然日記

我が家のプチトマトが豊作です!
先日収穫した房に次々と(本当に「プチプチプチッ」と音が鳴るように)実がなりました(左の写真)。また、新しい房には次の実の列ができています(右の写真)。
プチトマト-1 プチトマト-2
そしてゴーヤーのツルも凄まじい勢いで伸びていて、もうすでに二階のベランダまで届いています。工房部屋がほぼ目隠しされた状態で、涼しい風が入ってきています。
ゴーヤー
庭にいてボーっと植物を見ている時は、とても癒されるような気がします。そして撮った写真をこうやってBLOGに貼って眺めてみると、力強い「生命の力」を感じてしまいます。

小学生の理科の授業では、植物よりも動物や昆虫に興味のあった私ですが、今は草花の命(+自然の力)を理屈抜きですごいなぁ、と思ってしまいます。
今日も田圃の稲の香りを感じながら愛犬の散歩に出かけます(笑)。

コメントをいただき、ありがとうございます!

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“プチトマト豊作!” への4件のフィードバック

  1. 毎年当たり前のようにあるような緑も、何度も何度も土に返り、また芽吹いて、繰り返し新たに生まれているんですよね。
    どんなに小さくても命のパワーは凄いものです。

    ギターなど木材を使っている楽器類もそういった命を使わせて頂いているんですもんね。自然界の命が無ければ、人間なんて生きていけません。
    どれほど我々がおごっているか、本当に教えてくれますね。

    プチトマト一個が出来るのに、どれほどの細胞分裂が起こり、エネルギーを使っているか?パワーを出してると同時に、使ってもいるんですよね。
    だから植物は枯れる。
    枯れない植物も細胞が生まれ変わっているから同じように見えるだけ。

    だからこそ無償の感謝をしないといけませんね。手を合わせて。
    日本人に欠如したのはやっぱり「いのち」ですね。
    牛や豚を堵殺し、鶏を絞めてる光景を知らない人が多いんです。
    国外ではそういう光景を見せますね。日本人では食欲を無くすでしょう。
    命を頂く、もっと言うと殺して死体を頂いてるんですよね。

    ハンバーガーや焼肉の肉は初めからそこにあるのではなく、
    そういうことをして、初めて「肉」になる。植物も同じ事ですね。
    合掌・・・。うちにもいつの間にか、プチトマトが出来ました!

  2. odyssey より:

    四葉野玄馬(よつばのくろば)さん、とても深いコメントをいただき、ありがとうございました。

    私たちの年代の幼少時代には、周辺にありのままの自然も多くあり、いやがおうでも人工の自然ではない「天然の自然」と触れ合う機会がたくさんあったと思います。

    昆虫採集と称して虫を捕らえ、カゴの中に入れっぱなしで餓死させたり、アリやダンゴムシ(マル虫)をつぶしてみたり・・・と、今から思うととても残酷なことをしていました。

    幼少時にそういう経験があるからこそ、大人になって「命の大切さ」を認識するんだと思います。

    歳を取るにつれ「生命の尊さ、愛おしさ」を感じる機会が多くなっています。恥ずかしながら、植物に対しての畏敬の念や、大自然の生命サイクルの中の小さな人間の存在などを感じ始めたのは、つい最近のことです。

    たかがプチトマト・・・されどプチトマト・・・考えさせられてしまいますね(笑)。

  3. 千葉のO.S. より:

    うーん、深いですね。

    植物も動物も人間も、自然界の一員ですね。
    私も食べ物をいただく時、肝に銘じます。

  4. odyssey より:

    千葉のO.S.さん、コメントをいただき、ありがとうございました。

    食事の前の「いただきます!」は最近の私にとっては「ありがとうございます!命をいただきます!」と、感謝の気持ちでいっぱいです。

    歳を取らないとこの境地にならないのは(ならなかったのは)私だけなのかなぁ、と思うと少し情けないのですが・・・(笑)。

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