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10月2007

きらりと光るダイヤのような日

徒然日記

3年B組金八先生がこの10月から始まります。
昨日は今期の最初の2時間スペシャルで、家族で見ていました。
毎回、このドラマではいろいろと考えさせられます。
昨日のドラマで引用されていた詩が気になっていたので、掲載させていただきました。
【『きらりと光るダイヤのような日』(茨木のり子の詩集から) 】

短い生涯、
とてもとても短い生涯
60年か70年の

お百姓はどれだけの田植えをするのだろう。
コックはパイをどれくらい焼くのだろう。
教師は同じことをどれくらいしゃべるのだろう。

子供達は地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる。

それから品種の改良や
理不尽な権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたり、もっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品となってしまう。

世界に別れを告げる日
人は一生をふりかえって
自分が本当に生きた日が
あまりに少なかったことに驚くであろう。
指折り数えるほどしかない
その日々のなかのひとつには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう。

<本当に生きた日>は人によって
たしかに違う。
きらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ。

この詩を改めて読み直して、今51歳の私があと生きられる時間は20年前後・・・その間にどれだけのギターをリペアして、どれだけのプレイヤーを喜ばすことができるのだろうか、ということを感じました。

<本当に生きた日>、「ダイヤのような日」を一日でも多く感じたい・・・強くそう思いました。

コメントをいただき、ありがとうございます!