2006/2/11 土曜日
男たちの大和
遅ればせながら、映画を見ました。
戦争で戦い死んでいく人、その人たちを悲痛な思いで送り出す人、たまたま生き残り人生を問い続ける人・・・いろいろな人間模様が映し出されていました。
私が心に残ったのは「死ニ方用意」そして「今までのうのうと生きてきた自分の人生の意味がやっとわかった」の二つ。
自分の子供の年代、そう18~20くらいの、これから一番人生を謳歌して行かなければいけない若者たちに、「死ぬ準備をしなさい」・・・それが、「死ニ方用意」。
そして、たまたま生還した自分の人生を責め続け、戦友の娘さんが大和が沈んだ海に散骨するのを見て、「自分が生きてきた意味」を悟った老人。
「自分が生きる意味」・・・それを考えさせられました。自分が何かをして、その相手が喜んでくれる・・・そうできることが「自分が生きる意味」じゃないかと、自分なりに結論づけました。
そう考えると、長渕剛のエンディングテーマを聴きながら、恥ずかしながら人目をはばからず、涙があふれ出てきました。
子育てももうすぐ終わる、親として、というよりも動物の雄として、もうすぐその役目が終わろうとしている。
でも、これから「自分の生きる意味」を常に見つめながら生きていかなければいけない、強くそう思いました。
今の自分の「生きる意味」は、ギターを蘇らせ、その持ち主がギターの音を聞いた笑顔を見ること、と改めて感じました。
本当にささやかでも、他の人の喜ぶ笑顔を導くことができること、それが今の「自分の生きる意味」です。
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