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2月2006

男たちの大和

徒然日記

遅ればせながら、映画を見ました。

戦争で戦い死んでいく人、その人たちを悲痛な思いで送り出す人、たまたま生き残り人生を問い続ける人・・・いろいろな人間模様が映し出されていました。

私が心に残ったのは「死ニ方用意」そして「今までのうのうと生きてきた自分の人生の意味がやっとわかった」の二つ。

自分の子供の年代、そう18~20くらいの、これから一番人生を謳歌して行かなければいけない若者たちに、「死ぬ準備をしなさい」・・・それが、「死ニ方用意」。

そして、たまたま生還した自分の人生を責め続け、戦友の娘さんが大和が沈んだ海に散骨するのを見て、「自分が生きてきた意味」を悟った老人。

「自分が生きる意味」・・・それを考えさせられました。自分が何かをして、その相手が喜んでくれる・・・そうできることが「自分が生きる意味」じゃないかと、自分なりに結論づけました。

そう考えると、長渕剛のエンディングテーマを聴きながら、恥ずかしながら人目をはばからず、涙があふれ出てきました。

子育てももうすぐ終わる、親として、というよりも動物の雄として、もうすぐその役目が終わろうとしている。
でも、これから「自分の生きる意味」を常に見つめながら生きていかなければいけない、強くそう思いました。

今の自分の「生きる意味」は、ギターを蘇らせ、その持ち主がギターの音を聞いた笑顔を見ること、と改めて感じました。

本当にささやかでも、他の人の喜ぶ笑顔を導くことができること、それが今の「自分の生きる意味」です。

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